昭和48月11月25日  特別奉修委員   テープ№48---

                      末永静行


奉修委員の方達の御祈念をこうやって続けさせて頂いて、本当に有り難い事だと思うんですが、今の御祈念前に熊谷さんがこの前の日曜日の時になんかでちょっと遅くなられた、ばってんもう、まあ、ギリギリ滑り込みにおかげを受けられた、それで昨日はある事情で、どうでも本当を言うたら、あの、娘さんが行っておられる、石井病院の方へおい出られて、そして、泊まらんならんごたる常態化にあったけれども、それを実はこんなわけで明日の朝はどうでんこうでん遅うなっしちゃならんから、と言うて、また朝早くまたあんた達を起こして送ってもらうのも気の毒だから、その、今日はもうここから帰らしてくれと言うて、まあ、言うておかげを頂いたと言う話をお届けをしておられました。
その事を神様に私は本当に有り難い事だ思うてお礼を申させてもらいよりましたら、りんご可愛いやという歌がありますよね、りんご可愛いや可愛いやりんごかね、りんごの気持ちはよく分かるという、あの、歌をずうっとこう頂くんですね、そして、そのりんごを二つにぽんとこう割ってみて見せてくださる、りんごを二つにぱっと割って見た姿は、これは女の方達の意味なんですよね、ですから皆さんの事なんですよ、その熊谷さんのその例えばそう言う心根という事が神様は非常に可愛いという事だろうと私は思いましたですね、それは、まあ娘の所に泊まれちいうけん、もうゆっくり、なら今日はそれを好日にしてから泊まって、これは明日の御祈念は御無礼するけれども、それを好日で参らんでよか事を返って楽に思うような人すらあるんじゃないかと思うんですよね。
けれども、そこんところを、少しは強引のごとあるけれども、嫌、明日はこんなわけで、明日はいっちょ遅うなしちゃならんから、もう家まで帰らせてくれと言うて、言うような、そう言う一つの信心のこれは止むに止まれない神様に向かう一つの情念とか動燃と言う心、それを神様は糸可愛い物として受けてくださるんじゃないでしょうかね。いわゆる、特別奉修委員の方達の、いうならば、教会のことを祈り、親先生の健康の事を祈ると、しかも特別にこの時間をこうしておかげを受けられておるという事は神様からご覧になったら、それこそ、りんごの気持ちはよく分かる、皆さんの気持ちがよく分かる、そして、同時にそれも受けてくださり、同時にそれを可愛いものとして、こう、いうなら、目を細めて、それをこう言う情景、そう言う信心をご覧になってくださってあるという風に思うんですね。
私共がイライラしたり、またはここで言わなきゃおれないという事があったり、まあ、黙って治めるとか、成り行きを大事にするとかとこう言われておりますから、そう言う信心が、なら具体的に言うとどういうことかと言うと、あれは放任主義とは違いますもんね、ほうからけとけよかと言うのじゃない、放任主義じゃない、放任主義ではない、言うならば、御祈念主義でしょうね、ね、それは形は放任したような形で、もう本当に目に余ると、いうなら、特に子供達やら嫁たちやら、その関係なんかは場合に目に余る事がございますでしょう、そういう時に私は言うのではなくて、なら放任しとくのではなくて、まあ、ここば成り行きを大事にしていくと、成り行きを大事にするという事は私は信心になるということ、神様に向かうという事、御祈念をするという事だと思うんですね。
だから、自分の心があー言わんでよかった、おかげを頂いたという気持ち、それが私もおかげを頂きゃ、相手もまたおかげを頂いて行くことになるのですよね、だから、御祈念主義、そんな思わせて頂いとりましたら、つわぶきですね、今、きない花が咲く、富尊です、つわぶき、つわぶきの事を頂いて、今、皆さんに聞いてもらったような事を思ったんです。
つわぶきというのは、もういうならば、つばふきたてておしゃべりをする事だと思うんです、まあ、おしゃべり、もうなんにんならん事をいいよったらもうおしゃべりですよね、いうならば、あの、楽しい語らい時はこれはまた別ですね、けれども、あの言わんで良い事まで言うておるという事はあれはつわぶき、だから、それを頂いて私は思うた、ふきという事は富尊繁盛のおかげと言う意味の事だと思ったけれども、いわゆる、おかげ、おかげを頂くためにはどうでも言葉数少なく、しかもにこやかに、特に女の方は、ね、それでいて、相手に自分の心がどんどん分かってもろうていく為に、どうでも、言うならば、放任主義、御祈念主義と言うね、あの、信心を身につけて行かなければならない、そういう生き方をいよいよ身につけていくということが成り行きを大事にするという事であるということを知っとかなきゃ。もう成り行きを大事にする、まあ放任、それをただ放任主義を成り行きを大事にするといったような事に頂いておる人もあろうと思うんですけれどもね。
皆さんのこうやって特別の信心、特別の御祈念、それにわざわざ時間をかけて、お金をかけてなさる、それも、そんなら今日はこんな事情があるけんよかよかといったようなじゃなくて、そこを止むに止まれんと言うような、神様には止まれん動燃の心をね、ひたむきに向けるというところに、いわゆる、りんご可愛いやという事になるでしょうし、りんごの気持ちはよく分かるという事になるじゃないでしょうか、ね、そこんところは私は徹底した信心になっていかなきゃいけんと思うんですね。
                         どうぞ。